『シマウマ暴走記――スペース・マーチャオ』
窓の外に、粒子のような数多の光が瞬いていた。
針の先で突いたような光が集まり、おぼろげな形を結び、それが明滅する様はあたかも呼吸のよう。
満天の星空であった。吸い込まれてしまいそうなほど、どこまでも空は遠く星は妖しい。
それを見ていた少女は、白髪頭を振って声を張り上げた。
「宇宙、つまんなあああああああああああい!!!!」
「おい、コンソールを叩くんじゃねえ! 壊れるだろうが!」
掴みかかってきた少年の腕を潜り抜けて、シマは宙であぐらをかいた。髪が放射状に広がっていく。
「大丈夫だよ。宇宙船は頑丈だもん。それに壊れたら天馬が直してくれるよ」
「おまえまたあいつを働かす気か……」と雨宮はげんなりと肩を落とした。
「あいつ過労で死ぬぞ。脱出ポッド壊された時は三日寝なかったんだからな」
「だってさ、だってさ、してみたくない? 緊急脱出」
「閉じてるハッチに突っ込んでいっておまえ何がしたかったんだ。自殺してえんなら外の宇宙に放り出してやるよ」
「無重力はもういいよ。飽きた。ねぇまだ重力制御装置直らないの? 天馬もっと働けばいいのに」
「反省って知ってる? 二十倍界王拳の修行しようとしたやつはどこの馬鹿だよ」
「だって次の星にフリーザがいたら困るじゃん。あ、その前にギニュー隊長と闘わなきゃね。でも隊長の身体になるのやだなぁ……」
「誰だよこいつ乗せたの」
シマがベースの中をクロールし始め、どうやら物を壊す様子がないことを確かめてようやく雨宮は息をついた。タイトな宇宙服の首元に手をやって喉を楽にする。左手の袖がゆらゆらと揺れていた。
他の惑星に生命体がいるかどうかを確かめるために地球を出発してからどれほど経ったろうか。
七つの惑星を調査し、七つの廃墟を記録し、七つの銀河を渡った。
地球を出る時に渡された薬のおかげで、歳は取らないし病気にもならないが、それはつまりこの任務にかかる時間はとてつもなく膨大であり、故郷に帰る頃には文明がないかもしれない、ということでもあった。
といっても、クルーは全員そんなことは気にしない性質なので、さほど悲観的ではない。
仮に地球がなくなっていたら、住めそうな惑星を見つけて住むだけだ。
あるいは退屈ではあるが、この宇宙船の中でだらだらと過ごしていくのも悪くない。
それだけの叡智がこの船には積まれているのだから。
まったく任務の重要性や地球の未来なんて考えちゃいないクルーたちであったが、それが彼ららしさなのだから仕方ない。
ぷしゅ、と自動扉が開いた。ふよふよと浮いていたシマが、ん、と顔を向け、顔をだらしなく崩した。
「かーがーみー!」
入ってきた黒髪の美少女クルーに向かって、壁を蹴って弾丸のごとく突進していったが、あっさりとかわされてしまった。
そのまま壁に激突し、鼻を押さえてもんどりうった。
「雨宮、次の星までの距離がわかりました」
「おう、よくやったカガミ。偉いぞ」
「わ、わたしのことはスルー?」
カガミのよくできた陶器のような精緻な顔は、感情に動かされることはない。
すらすらと淀みなく雨宮に報告を済ませ、自分の椅子に座ってコンソールを叩き始めた。できる女である。
彼女は高所を好むため、この宇宙探査を喜んでいるのではないか、と天馬は最初の頃に言っていたが、当の本人は怒っているとも呆れているとも言えない顔でこう答えたのだった。
「高すぎます」
「シマ、カガミを見習っておまえも仕事しろよ。接近してきてる岩石はねーかとか、新しい銀河とかねーかなとか」
「うん、機械の触り方わかんない」とシマはにかっと笑った。
「うん、あのね、おまえマジで降りてくんね?」
「丁重にお断りする。――でもホント、降りたいくらい退屈だなぁ……」
シマは切なげに空を見上げる。そこに彼女の求めるものはない。
琥珀色の目を潤ませて、彼女はぽつんと呟いた。
「マージャンしたいよぅ……」
「そりゃあね、できたはずですよ」雨宮の眉がひくひくと痙攣している。
「君が重力装置壊さなかったら持ってきたマージャンもサイコロもビリヤードも楽しく遊べましたよ。わかってます?」
「天馬が今がんばって直してます」とカガミが言った。
「もうそろそろ連絡があってもいい頃合かと」
「おお、そうか、さすが我らがメカニック。使えるやつだ」
タイミングを計ったかのように、スピーカーが振動した。
『おう、おまえら喜べ、ついに完成したぜ』
胸を張って踏ん反り返っている姿が想像に難くない声の持ち主は馬場天馬その人だ。カガミがスピーカーにぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、天馬。凄いです」
『そうだろうそうだろう。もっと褒めろ。よし、じゃあみんな工房に来てくれ』
ぶつっ、とそれきりスピーカーは沈黙してしまった。
工房? とカガミと雨宮は顔を見合わせた。
重力制御装置と工房にいくことの何が関係しているのだろうか。もしかするとまだ工房の範囲しか機能しないのかもしれない。
とにもかくにもいってみればわかること。
雨宮とカガミはすーっと手すりに沿って滑っていき、その後をシマが背泳ぎで追いかけた。
工房の中はガラクタばかり積み重なっているのが常であったが、その時それらは部屋の隅に寄せられ、いつもよりも広く思えるのだった。
部屋の中央で、顔をオイルで汚した天馬がニコニコして椅子に座っている。
カガミが浮いていって、その嬉しそうな顔を見下ろした。
「なんですか、これ」
「なんですかって決まってるだろう」
天馬が胸を叩いて、目の前にあるものを指差した。
「ジャン卓とジャン牌さ。聞いて驚け、磁石入りだ。これなら無重力の中でもできるぜ」
さ、打とうか、と膳を前にした童のように天馬はうきうきとしている。いつの間にかシマがその対面に座って同じ顔をしている。
卓下でぶらぶら足を振って、残りの席が埋まるのを待っている二人の頭にカガミの鉄拳が落ちた。
とはいえ、退屈であるのは間違いなかった。
カガミが計測した次の目的地まで、時間は掃いて捨てるほどあり、仕事は虚しいほどに無かった。
結局、雨宮も乗り気になって卓に座り、「サンマでもやっていたらいい」とそっぽを向いていたカガミも渋々牌の海に手を突っ込んだ。
「おい、牌と牌がくっついちまうぜ」と雨宮が五重に重なった牌をひっぺがしながらぶーたれた。
「文句言うな、仕方ねえだろ。慣れりゃすぐ平気になるよ。なせばなる、打てばなる」
「そうそう、重力制御装置が直るまでの我慢だって」壊した本人がへいちゃらな顔をして一番ご機嫌である。
「久々のマージャンだ。負けないぞ」
「そりゃこっちの台詞だ。オレたちはおまえのせいで遊べなかったんだからな、ハコテンにしてやる」
「言うようになったね天馬。誰がよちよち歩きの君にマージャンを教えたと思ってるのかな?」
「何がよちよちだ、中学生みてえな顔しやがって」毒づいたのは雨宮である。
「カガミを見習えよ。これこそ日本人女性のあるべき姿さ」
シマが上から下までカガミを見回して、鼻で笑った。
「なんだか凄く馬鹿にされた気がするんですが、私の気のせいでしょうか」
「カガミ気にすんなよ。シマ偉そうにしてっけど胸の大きさ実際そんな変わらね痛っ!」
対面と上家からすねを蹴られて天馬が跳ね上がった。足を抱えて擦っている。
それを雨宮が気の毒そうな顔をして楽しんでいた。
「いいね、もっと続けようぜ、胸の話」
「死んでください」
「このヘンタイ」
と女性陣はぶーぶーであるが、雨宮にとっては蛙の面に小便ほどの効果も与えないようであった。
「まァそう言うなよ。俺と天馬は旅が始まってから一度もおまえらに手を出してねえんだぜ?
この長い間ずっとだ。凄いだろ、普通はそうはいかないぜ。シャワー覗こうとか部屋行こうとかするもんだ」
「この世界の神様はそんな簡単にご褒美をくれない主義なんだよ」とシマは物知り顔で語っている。
「で、つまり、何が言いたいんですか雨宮」
「せっかくだ、男女対抗戦といこうぜ。普通にマージャン打ったら天馬が負けるだけだしな」
「なんだとコラ」
「こっちは天馬っていうハンデがあるんだ。な、いいだろ? 物凄いハンデだぜ」
まさかそんなことで易々と了承するまい、と天馬はタカをくくって雨宮を嘲っていたが、カガミとシマは目を合わせて鹿爪らしく頷いた。
天馬が梅干を食ったような顔になる。
「天馬がハンデならちょうどいいね」
「少し大きすぎるハンデですが、いいでしょう」
「よし、決まりだ」雨宮が俄然元気になって背筋を伸ばした。
「勝ったチームが負けたチームの言うことを聞く。なんでもだぜ。へへへへへ」
「雨宮キッモーイ」
「キッモーイ」
シマはともかく普段は言葉遣いの丁寧なカガミにまで罵倒されたのが相当応えたらしい。
雨宮は何かを悟った坊主のような顔で手牌を開いた。
それを見て今度は天馬の機嫌がすっきり治った。他人の不幸は蜜の味である。
そうしてへらへらしつつも、ちら、と二人の女の子を上目遣いに盗み見、すぐに手牌を気にするフリをした。
慣れない磁石牌にいち早く慣れたのはシマであった。皆が四苦八苦して牌をはがして積んでいる時にはもうきれいなヤマを整えてしまっている。
あっという間に地上で打っているのと変わらない動作を身に着けていた。
そうして調子に乗っていたのであろう。
いつだったか、天馬の親で、彼はずいぶん長いこと第一打に苦心していた。
理牌する必要を生じないシマは退屈しのぎにパタパタ手牌を立てたり伏せたりしていたのだが、
「いったあああああああああい!」と突然叫んだ。
なんだなんだ、と三人が顔を寄せる。シマは赤くなった爪を見せた。
「指、挟んだ……」
「シマ」天馬が深刻そうな声音を出した。「おまえ馬鹿だろ」
「天馬がいけないんだ。天馬が不良品作ったよぅ、かがみん」
「シマ、かわいそう」とカガミがシマの頭を撫でた。オレのせいなの? と天馬が雨宮に問いかける。
「うえーん、かがみーん」
「きっと小さい頃に頭を打ったんですね。痛かったでしょうに」
「うん、え、中身の話? あれ?」
また、別の半荘ではこんなこともあった。
シマの親番、三順でリーチをかけた彼女がツモ牌を高々と掲げた。
陶酔したように牌の彫りを親指で楽しんでいる。
「いっぱァつ――」
「なんだよ、運マージャンになるだろ。やめろし」
「これだからチートは困るぜ」と天馬と雨宮が不平を漏らして手牌を伏せた。
えへへ、とシマは笑って勢いよく牌を卓に、
「ツ――」
叩き、
「モ――」
つけ、
「――――」
た。
ゆっくりと、糸で引いたように手牌が倒れる。
しかしアガったシマは頬をぷっくら膨らませて地球の方を見ていた。
「これじゃ引きヅモ、できないじゃん」
「おうそろそろ雨宮くんもガチで怒っちゃうぜ。いったいそれは誰のせいだよ」
シマはべぇ、と雨宮に舌を見せ、激しく牌を洗い始めた。
珍しいその表情にうかつにも天馬が見とれていると、またもやすねを上家に蹴られたのだった。
ツキの流れは終始、シマと雨宮がアタッカーとなり、カガミと天馬がトス役の様相を示していた。
いつからか誰も半荘の数えなくなってしまったので、今打っているのが何回戦なのか知るものは誰もいない。
時間に関して言えば、最初の半荘から二十四時間ほど経過していた。
今、トップは雨宮。それを僅差でシマが追っている。
そうしてラス前、子方とはいえ雨宮が凄い手をカガミから直撃した。
「リーチ一発ホンロウホンイツチートイドラドラ――お、裏裏。さすが俺。ふふふ、数え役満だな」
一枚切れの北単騎、カガミは親で追いかけリーチであった。
彼女はしばらく雨宮の手牌を眺めていたが、そっと点棒を差し出した。
心なしかいつもよりも表情が硬い。
遊び半分とはいえ取り決めてしまった勝負を後悔しているのかもしれない。
あるいは、普段はちっとも意識していなかった二人が男性であること、そして自分が女性であることを改めて考えているのかもしれない。
カガミがちら、と思慮を包んだ視線をシマにやると、彼女は首をぐるぐる回して鼻ちょうちんを作っていた。
ぱちん、とそれが割れてはっと目を開け牌を切ったかと思うと、また鼻からシャボン玉が漏れ出してくる。その繰り返しである。
「シマ、徹マンが苦手なのはわかっていますけど、頑張ってください。私たちの――」ちょっと間があった。
「その、安全が懸かっているんですから」
「わかってるって」
シマはかくん、と首をあっちこっちに折りながら笑っていた。誰がどう見ても寝不足患者に他ならない。
一局前の雨宮の役満で勝負あったの感が深いが、さすがはシマというべきか、寝ぼけながらも牌を積み込みでもしたのか、夢のある手ができていた。
一一一二四五六七八九九九九
萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬萬
二三萬待ち、純正ではないが高め三萬で九連宝燈である。
三萬は河に一枚捨てられているのみ。これはツモれる、とシマは思った。
今は天馬の山からツモっているので、ツキのない彼の山には自分の当たり牌がうようよ眠っているはずだ。
だけれどその前に自分が眠ってしまう。
ちゃんとしなきゃ、と思うのだが、手を強く握り締めても瞼を開けようとがんばっても、どうしても意識が宙に溶け出していってしまうのだ。
卓に座った三人が、牌が、ゆらゆらと揺れて見えた。海の中にいるようだ。
そうして、ええいもう、とツモった牌を横に曲げた。
「リーチッ! こんなの一発ツモだい!」
カガミが打った安全牌を見て、天馬が動きを止めた。そうして、チイ、と喰った。
「へへへ、一発消し一発消し」
それを見る雨宮の顔は苦い。
そうして天馬の牌を喰うことができず、シマのツモ順が回ってきた。
「――――」
しかし、彼女はツモった牌を握り締めたまま、それでアガろうとも、切ろうともしない。
「なんだよシマ、早く切れよ」
「カンしとけ、カン」と天馬が見当はずれのことを言っている。
そうして三人が見守る中で、シマの身体がふわっと浮き上がった。
膝を抱えるようにして眠ってしまったシマの手から、最後のツモ牌がそっと零れた。
三萬――。
次の星までには掃いて捨てるほどの時間が積まれている。
はてさて到着までに何半荘するのやら……。
【シマウマ番外編 宇宙麻雀放浪記 完】