【序章】
父は優しい人だった。
弱く、脆く、誠実で、臆病な人間だった。
いつも曖昧に笑い、他人に頭を下げることを厭わず、広いはずの背中は、常にどこか頼りない。
兄はそんな父を嫌悪していたけれど、穏やかに、暖かに笑う彼の人の存在は、私にとって好ましいものであった。
<――弐、乃――>
しかし、私が六つのとき、帰らぬ人となった。
薄暗い部屋の中で、天井から釣り下がっていた。
だらりと垂れた真っ赤な舌先から、ひたすらに、懺悔の言葉が落ちてきた。左右の掌を広げ、私はただ、それを受け止めた。
<――すまない、すまない、すまない――>
空洞になった父の口内から【コトノハ】が落ちてくる。
それは虹色に輝く、半透明の、小さな硝子珠のような代物だ。
ぽつ、ぽつと、雨垂れのように落ちてくる。
<――すまない、すまない、すまない――>
吹き晒しになった居間の中央を、冷たい冬の風が通り抜け、荒縄が風に煽られる度に、足が、小さく円をかいて踊っていた。
<――すまない、すまない、すまない――>
ぽつ、ぽつと、雨垂れのように落ちてくる【コトノハ】。
きしきし、軋む縄の音を聞きながら、彼の人の言葉を聞いた。
<――弐乃――>
父は、優しい人だった。