「なんにせよ神門旭は許せる存在ではない!!何度言わせれば気が済むのだお前はッ」
「こっちが言いたいよ!こーのわからずやぁーー!!」

 水が空に爆ぜ、風が地を砕く。
 風の羽と水の羽を持つ妖精が空を飛翔しながら距離を詰めては離しを繰り返していた。
 レイスとシェリアの両名が、互いに想いを力に込めて放つ。未だどちらも説き伏せるに至らず、また妥協を見出すほどに身を引ける理由が無かった。
「レイスのばかっ!いいから話を聞いてってば!」
「お前のくだらん話にこれ以上付き合う義理は無い!いいから戻って来いシェリア!」
「あぁーもぉおー!!!」
 レイスの頑なな態度に呆れを通り越した怒りすら覚えて、シェリアは身に迫る水を散らし吹き飛ばしながら一瞬でレイスの頭上を取る。思い切りしならせた肢体から繰り出される脚撃は、咄嗟に掻き集めた水だけでは防ぎ切れる威力では到底なかった。
「くっ」
「“水天を裂け、抗う光風!!”」
 真っ逆さまに地へ落ちたレイスがどうにか落下地表付近に集めた水をクッションとして衝撃を和らげるも、さらに追い打ちとして上空から押し固めた大質量の爆風が滝のようにその地点へ降り掛かった。
「……ッ、ユル、エオロー!!」
 回避し切れる規模ではないそれを見上げ、レイスは水の刃で足元の地面を刻んだ。地中を掘っての逃走、などではもちろんなく、
「“御守を顕すイチイの木、群れ成す鹿の加護なる印!兼ね併せ織り成せ不可侵の域!”」
 身を押し潰すような爆風の塊が数秒後に迫る。ガギリと歯を噛み合わせ、目を見開き叫ぶ。

「“護法ごほう双重ふたかさね堅陣けんじん!”」

 ―――ゴバッッ!!!
 大震が周囲の地面を激しく揺さぶる。高く高く昇る粉塵の中心、爆心地からは抉り抜かれた草原の残骸が噴き上がり曲線を描いて全方位へ振り落ちて行く。
「…ちょっと、やりすぎ…ちゃった?」
 空気を踏むようにして空中に立つシェリアが不安げに尻尾を揺らし地上の惨事を見下ろす。
 まさかレイスに限って無様に直撃したとは考えにくいが、万が一にもそうだとした場合は五体不満足の肉塊と化していてもおかしくはない一撃だ。シェリアの頬を嫌な汗が伝う。
 と、
「っ!わわ!」
 灰色の粉塵を斬り裂いて水の砲弾が正確無比にシェリアを狙って飛来してきた。慌てて回避行動を取り、やや安堵した表情でシェリアは伏せた猫耳を立てた。
「…殺す気かお前は」
 草原だったはずの場所に巨大なクレーターが出来上がり、その中心にレイスは立っていた。恨みがましくシェリアを見上げ、自身をドーム状に囲っていた光の膜を解く。
 粒子のようにして散った何らかの術式の痕跡が、その足元で不可思議な文様として残っているのをシェリアは目撃する。それは何度か見たことのある、模様のようにも落書きのようでもあるれっきとした文字。
 遥か昔に失われた古い文字体系にして北欧より伝えられし術式を編み上げる一種のコード。
「ルーン!」
「覚えていたか。そこは褒めてやろう」
 人差し指を向けて上げた声に、レイスはいつか教えたルーン文字の勉強を覚えていたシェリアに僅かながら感心した。
 レイスの足元に刻まれた淡い光を放つ文字が、役目を終えて消えて行く。それはZを反転させたようなもの、ひよこの足跡のようなものと二つあった。それぞれにYRユルEOLHエオローのルーンとして効力を果たしたものである。
 イチイの木を意味に持つ護りのルーンであるユルに加え、大鹿(あるは保護)を意味するエオローを重ね掛けした堅牢の結界。文字に宿る意味と起源を抽出し、掛け合わせによって強化補強を重ねるがルーン術式の真髄。
 北欧に出自を持つ真名グラシュティンたるレイスが得手とする技能だった。
 かつて、同じく北欧出身である『反転』した悪魔と共に師であるファルスフィスから学んだ技術であることを思い出し、レイスは懐かしき記憶に浸りかけ、静かに首を振るう。あの裏切者と過ごした日々は、もはや懐かしむべき暖かな記憶として想起するべきものではない。
「あれ、そういえば…?」
 ふと、その裏切者である褐色肌の悪魔の姿がどこにもないことにシェリアとレイスが気付く。ルーン術式によって身動きを封じていたはずだが、シェリアの考えなしの一撃によってその行方がどことも知れず消え去ってしまっていた。
(いや、直撃ならいざ知れず…ヤツを縫い止めていた場所まで届いた余波は微々たるものだったはずだ。ルーンが壊れるほどでは……こわ、れる?)
 とある事実に思い当り、焦燥に駆られるレイスは身体ごと自らの国、グリトニルハイムの方角へ顔を向けた。
 共に老妖精から剣術や術式の指南を受けていた時、彼らはこう教え込まれていた。

『対抗するにはその相手の力を理解することが先決だ。剣術なら流派を、拳法なら型を、そして術式なら由来と起源をな。それを理解し、崩す術を見つけたのなら、勝利に繋げることはそう難しくはない』

 そう教えられたレイスとアルは、ルーンを教わる際にも同様に教わっていたのだ。
 ルーンを破壊するルーンの術を。
(しまった!アイツ、俺の施したルーンを破壊して…!)
 既にあの妖精崩れの悪魔は気配すら感じさせない。消しているのではなく離れていたからだと気付き歯噛みする。シェリアとの戦闘に気を割いていたせいで、ルーンを破壊して先に進んだアルの動向に気付けなかった。
「こらーレイス!どこ見てんの!まだ話は終わってにゃいんだからー!」
「っシェリア!」
 国への侵攻を許してしまったアルの追撃をシェリアは断じて許さない。シェリアの中で『お話』とやらが納得いくまでレイスを解放するつもりは皆無だろう。
 唇を犬歯で噛み、アルの追撃を諦めたレイスは猫娘との戦闘に再三の注力を果たす。



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 荒い息を吐き、由音は千切れた腕を“再生”で繋ぎ直しながら真横に駆け抜ける。空より振るは無数の氷槍。移動を止めればすぐさま串刺しにされる。
「はぁ、ぐ…なん、だっ、てんだ…っ!」
 悪態をつきながら氷槍を避け続ける。身体は異様なまでに重たく、また怠い。まるで(罹ったことはないが)重度の風邪をひいたかのような倦怠感が体を引く。
「がっ!」
 走り抜けた先で爆炎が巻き起こり、顔の右半分の皮膚が爛れる。さらに地面から生えた岩と金属の棘が手足と胴体を貫通し疾駆の慣性を強引に殺した。
 刺し貫かれた身体へ無慈悲にも氷槍の雨は止まず降り注ぐ。目を見開き、魔物の如き雄叫びと共に全身から邪気が溢れ出し、それがまるで獣を模した甲冑のような形となって由音を覆う。
 “憑依”最大深度に至った黒色の怪物が、身体に刺さった棘を根元から折り空から降る氷槍を漆黒の獣爪を備えた豪腕で纏めて薙ぎ払う。
「グゥゥアアあアアああああアアがガアァぁあああああああああ!!!」
『……ッ!!』
 ビリビリと震える大気に攻勢を維持していた妖精王直属の近衛兵団の衆に動揺が走る。
「臆するな。アレには制限がある。悪霊を宿す“憑依”の力、その最大解放。いくら“再生”たる破格の異能を有していようと限度があろうて」
 今、由音は巨大な三本の氷柱に囲まれていた。三角形の頂点の位置にそれぞれ氷柱は突き立っていて、その内部では見たこともない不可思議な文様が煌々と光を放っている。
 三本の氷柱の内側には由音ともう一人。この厄介な氷槍を雨霰と撃ち続けている老齢の妖精ファルスフィスが杖を突き立っていた。歴戦の猛者たる老妖精の邪魔にならぬようにか、既に元いた数より半分も減らされてしまった近衛兵団の者達は氷柱の外から援護を続けている。
 ギシリと頭蓋が軋む。“憑依”に侵され限界の悲鳴を上げている肉体に、強引に歯車を噛み合わせさせるように“再生”が支えていた。
 腹部と手足の貫通創は癒えない。顔の右半分の火傷も依然として熱を放ったままだ。
 完全完璧なる人外の領域へ踏み込む代償、“憑依”最大解放のリスクの全てがここにある。
(“憑依”の浸食速度が馬鹿速ぇ…!“再生”全展開!肉体の損傷なんざ回復させてる余裕はありゃしねえ!!)
 東雲由音が幾度もの人外との死闘で生き永らえて来た、半不死性とまで呼べる馬鹿げた回復能力は一重に“再生”という異能の余力が、“憑依”のカバーに回してもなお余りあるほど膨大であったのが大きい。
 ところが悪霊の人外能力を人間の器に上乗せする人外ブースト化の反動は、全開まで使うことによって“再生”が由音を人間種として引き返せなくなる一歩手前までのカバーを行うには限界ギリギリであったのだ。
 すなわちハイリスク・ハイリターン。
 並大抵の人外すら凌駕できる力を得る代わりに、その間の肉体精神諸々のダメージにおいて“再生”は一切干渉しない。受けた傷が瞬時に癒えないという、由音の今まであった最大のアドバンテージが失われてしまうということ。
 さらに追加するに、この状態は長続きしない。
 陽向日昏との戦闘を境に覚えた『蛇口の破壊』行為は、長く続けるといずれ蛇口ではなく水道そのもの、つまりは由音の肉体そのものに深刻な再起不能レベルの障害ダメージを引き起こす可能性が極めて高い。これは守羽が由音の魂魄に施した楔の術式を再調整し直した日昏自らが忠告していた内容である。
 発動と同時に解除までの時間で短期決戦を決めねばならぬ。でなければいずれ出力に耐え切れず肉体は自壊する。
THORNソーンNIEDニイドISイスの遅延ルーンを噛み合わせた陣を敷いてもまだこれだけ粘るか。どれ、追加でウルでも…」
 自身を囲う三つの氷柱の内にある文字のようにも見える文様がさらに光を増すのを見て、由音は邪気で爆炎や槍を防ぎつつ中央に立つ老妖精にのみ矛先を向ける。
「テメェがなんかしてやがるなあッ!?」
 ガァンッ!!と氷結した地面からドリルのように尖った氷塊が複数飛んで来る。
「いかにも。ルーン文字にも向き不向き、相性が存在しての。ソーン欠乏ニイド、そしてイス…遅延を冠するこの三文字は儂とはとても相性が良い」
「わけわから…っねえんだよ!」
 氷塊の迎撃と同時に全方位から近衛達の属性攻撃が殺到する。ファルスフィスは上空へ跳びさらに追い打ちの氷槍を数百用意していた。
「この…!」
 自分だけ重力が何倍にも増したかのように体が重い。何かの策が通じている。ルーンだの遅延だの、由音には何のことだかさっぱりわからない。
(全力で突っ込む。元々俺にはそれしかねえしな!)
 まさしく獣のように、ただ由音は邪気を纏いて数百の氷槍を掻い潜りファルスフィスに喰らい付く。



「あれが『黒霊の憑代』、本当に化物か!?」
「我々の半数を薙ぎ倒していながらまだ余力があるなど、到底の人間の成せる所業じゃないぞ!!」
「いいから攻撃を重ねろ!ファルスフィス様に少しでも近づけるな!!」
「おう!」
 近衛兵団の者達は、皆が揃って息を合わせ火球を生み出し土矢を具現し水弾を発生させる。次の一斉攻撃で邪気の塊のような怪物を打倒する為に。

「“突き進みエ オ ー突き壊せティール雄々しくソウイル猛々しくウ ル!!”」

 だから気付けなかった。後方から迫る脅威の存在になど。余所見をしている暇など、あの悪霊憑きを前に一切無かったのだから。

「“追尾刺突おいころせ符号破壊かみくだけ!”…行くぜ即興合わせ技ァ!!」
「…、なんだ?今誰か、言っ」

 その相手が大声で叫び唱えているのを妖精の一人がふと耳に入れて、ようやく気付いた。
 あまりにも遅すぎる判明に、誰が何を出来るでもなく背後からの急襲に彼らは成す術なく吹き飛ばされるだけだった。
 左手に握る贋作の魔剣、その表面にいくつもの文様を迸らせて青年は跳ぶ。



「あん!?」
「むっ!」
 あと少し。全身に刺創と切り傷を受けながらも氷精へ一撃の先を伸ばし掛けた場面でのことだった。
 いきなり横合いから、焼け焦げ煤けたような赤茶色の髪を振り乱した悪魔が、右手に握る日本刀を振り下ろしてファルスフィスを急襲した。
 寸前で杖で刃を受け止めはしたものの、勢いに押されてファルスフィスの細木のような矮躯が真横に打ち飛ばされる。
「しょうもねェ小細工を!相変わらずテメエら妖精はクッソくだらねえな!!」
 怒声を吐き出し、由音の眼前で悪魔が左手に握っていた剣を思い切り投擲し叫ぶ。
「“術付ルーイン不耗飛剣ティルヴィング!!”」
 手から放たれた剣は、その軌道を投擲された直線的な動きから明らかに外れ、意思あるように動き回りながらまず手近にあった氷柱の一つを穿ち砕いた。
 続けてホーミングミサイルのような正確無比な動きで曲線を描きつつ切っ先で二つ目を破壊、その内側にあった不可思議な記号のような文字モドキごと三つ目をも粉砕して持ち主たる青年の手元で舞い戻った。
 展開されていた三つの氷柱が破壊されると、あれだけ由音を苦しめていた息苦しさや重苦しさが途端に掻き消えた。
「遅延のルーンってヤツだ。動きを極端に制限する効力が三つ、相乗効果で実際の束縛力はもっとあっただろうが、もう関係ねえ」
 左手に剣を掴み直し、構える。表面に刻まれていた四つの文字は役目を終えたのかフッと消えてしまった。
「アンタ…アル、だっけ?」
 維持の厳しくなってきた深度最大解放の“憑依”を浅めの状態まで再設定して、濁った瞳で由音が思いがけぬ増援の名前を確かめるように口にする。
「おうよ、東雲由音。レイスに足止め喰らってこっち来るのに時間掛かっちまった。悪ぃんだけどお前、俺が散らかしたあの連中の相手しててくれっか?」
 視線で示すと、不意打ちでさらに戦力を減らされた近衛の妖精達が態勢を立て直しているところなのが見えた。
「俺はあの爺に用があって来た。役割分担頼むわ」
「…よくわからんけど、とりあえずわかった!助けてくれてサンキュな!あのじいさんかなり強いから気を付けろよ!」
 捲し立てて、由音は邪気の尾を引きながら妖精の残存勢力へと拳を握って駆けて行く。
 もう少し何かあるかと思っていたのだが、悪霊憑きの少年はあっさり了解してしまった。迅速に最善を叩き出した結果なのか、それとも特に考えもせず動いただけなのか。
 なんにしても、
(面白いヤツだな)
 アルとしても好感の持てる性根をしているのは間違いないと思った。
「やれやれ。ルーンを自らが生み出した模造兵装への付与効果として用いるとは、相変わらず妙に器用な使い方をしおる。抽出する意味も効力も滅茶苦茶であるしのう」
 白装束をゆらりと揺らし、氷の妖精ファルスフィスは久々に見る弟子のデタラメな戦い方に嘆息を抑えられないといった様子で肩を落とす。
「俺がルーン嫌いなの知ってんだろ。面倒臭えし、小狡い感じするしな」
 左手の不耗魔剣ティルヴィング、右手の童子切安綱を両手二刀で構え、アルは唾を吐いて応じた。
「クソジジイ。テメエが何考えてんだか知らねえが、俺はテメエの全部が気に喰わねえ。旦那の倅には半殺しまでだと言われたが、ここらで死んどけや」
 杖が地を叩く音がコツンと鳴る。
「ほうか、なるほど」
 深く頷いたファルスフィスの吐息が、白く、視認される。
 その直後、周囲数キロに渡って大地全てが凍土と化した。
「愚かな弟子には鉄槌の仕置きを。これも必要なことであろ?師としては特にな」
「……」
 淀みのない殺意を滾らせて、ただ無言でアルが刃を手にジャックフロストと相対する為に適切な距離を測り始めた。