普段は妖精達で賑わうであろう、王城へ続く大通りの道には誰も居なかった。ただ、上機嫌に前を行くシェリアと、それに手を引っ張られる由音だけが道の真ん中を歩く。
 無論、この国に住まう妖精達がそれぞれの仕事を放って姿を消している理由は由音にも分かっていた。
(気配だけは感じんな。みんなやっぱり家の中に引っ込んでんのか)
 自分達がこの国を踏み荒らした侵略者という立場であること、それによりどういうわけか『賓客』として王が迎え入れた異常事態。妖精達の警戒は上限を振り切った状態にある。いくら普段から直情思考で突っ走っている由音にだってそれくらいは理解できた。
「こっち、こっちだよシノ!」
 ぐいぐいと手を引いて先を歩く少女の上機嫌に弾む猫耳を後ろから眺めつつ、ふと思ったことが口を突いて出る。
 それはこの妖精界における現状や自分達の状況とは一切関係なく、ただほんの少しだけ気に掛かったこと。
「……シノ、ってさ」
「んー?」
「オレだけ苗字じゃん?名前で呼んでくれよシェリア」
 初対面の時から、東雲由音を覚えきれなかったシェリアは頭の二文字だけを取って由音を呼び続けていた。守羽は旭との呼び分けの為に神門と言うのを避け、同性同士で親密な仲にある静音もまた名で呼ばれている。
 自分だけ苗字だったということが不服なのではない。ただ少しだけ引っ掛かった。どうしてそうなったのかは自分にもよく、わからないが。
 ぴこんと耳を立てて、手を引いたまま半身振り返ったシェリアが真顔で数秒唸ってから、
「…ん、と。えへへ、シノって名前にゃんだっけ?」
「由音だよ!東雲由音!」
 まさかまだフルネームで覚えられていなかったのか。再度名乗ると、また誤魔化すように笑って強く頷いた。
「うん、よし!じゃユイだね!!」
「おう!」
 相変わらず略す癖があるのか半端な呼び名となったが、これで充分だ。負けじと呼ぶ声に応じて、大通りから十字路を右に曲がってさらに先へ。その途中で立ち止まった場所が、どうやらシェリアの帰るべき居場所であるらしかった。
 王城からざっと見下ろした時に確認した民家と比べると随分と大きい。二メートルほどの鉄柵で覆われた建物は横にも縦にも大きく、玄関までの間には小さいながらも左右に広がる芝生の庭がある。
 由音の中にある知識はあまり豊富ではないが、それでも外観からして感じる第一印象は聖堂、あるいは教会か。
 十字架こそ無いけれど、全体的に丸みを帯びたフォルム。大きさに反して威圧感を極力拭い去ろうと汲み上げた建築の仕方を思わせる大聖堂。妖精界であっても信仰する神は在るのだろうか。
 両開きの玄関扉の上端には、表札にしてはやけに大きな木の横板が嵌め込まれている。横一行に綺麗な文字が走っているが、日本語ではない。英語…にも近いが違うような、もしかしたら妖精界で発展した人界には存在しない文字だろうか。
「シャルル大聖堂院だよ、ユイ」
 勝手知ったる様子で鉄柵の扉を押し開けながら、木製の横板表札を見上げていた由音にシェリアがそう答えた。
「大聖堂院?…シャルル?」
「うん。ここはねー皆のお家にゃんだよ。そんでねぇ」
「―――シェリア?」
 開け放ち、再び由音の手を取って玄関へ向かう道すがら語る説明は途中で遮られた。鉄柵の軋みを耳に入れたのか、聖堂の中から一人の女性が玄関から現れた。
 由音には一目でそれがシェリアの関係者であることがわかった。妖精種では非常に稀有な黒髪を三つ編みに結った猫耳姿。エプロンドレスの彼女は間違いなくケット・シーの一族。
 ということは。
「お母さん!」
「やっぱり、シェリアシャルル!」
 駆け出し、母と呼んだ女性へとシェリアが跳び付く。やはりあれがそうか。どうにも人間の基準で考えると若いどころか幼くすら見えてしまうが、この際だから人の常識はもう捨て去ってしまった方がよさそうだ。
「シェリア、シャルル。……ふーん?シャルル…」
 嬉しそうに強く抱き合う母子を見て、もう一度(読めないが)表札を見上げる。そして肌に感じる妙な視線。
「ん?」
 顔を正面に戻す。すると、開けられたままの玄関扉の隙間から小さな人影がいくつか。それに応じた視線を一身に受けている。揺れる毛先は黒のみならず、どうやらケット・シー以外の妖精も中にはいるようだ。
(大家族?なんだな。とりあえず手ぇ振ってみっか!)
 ぶんぶんと大きく手を振って奥にいる複数の人影に挨拶してみれど、彼らは応じてくれず。どころか一目散に引っ込んでしまった。
「え、なんでよ。オレそんなに顔怖かった?」
 納得がいかずに首を捻る由音を、久方ぶりの再会を済ませたシェリアが家へと招く。玄関扉をくぐる時にはもう、彼らの姿も気配もとっくに消え失せてしまっていた。



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 王城の外周には等間隔にシンメトリーを意識した花畑が広がっている。色彩まで統一して順序よく揃えられているのは流石と言うべきか。妖精界最重要ともなる城の造形美を損なわないように細心の心配りが成されている。
「この世界…国のこと、どう思います?静音さん」
 その色とりどりの景色をなんともなしに眺めながら、少女の歩幅に合わせてゆっくり歩く守羽が訊ねる。
「良いところだと思うよ、率直に言ってもここはまさしく理想の国家なんじゃないかな」
 気象天候に脅かされず、悠々と育つ農作物。一切外敵のいない空間。君臨する王も暴君に非ず、女王もまた慈愛心に満ちた器量好しと来てる。
 人世の歴史でもここまで条件に恵まれた国は稀だ。しかも此処はその繁栄が永続を確約されている。何かしらのイレギュラーさえなければ。
 彼のことをよく知る静音には、その心中が窺い知れた。
「…やっぱり荒らすのは抵抗がある?」
 見抜かれていることすら不思議にも思わず、守羽は隠すことなく戸惑いを顔に表す。
 だが覚悟だけは揺らがない。
「この世界には本当に申し訳ないと思ってます。でも俺は、例えここが取り返しのつかないほど滅茶苦茶に荒れ果てることになろうとも。それでも父さんを助けたい」
 その為の『アーバレスター』であるし、そうでなければ付いてきてくれた仲間達に面目が立たない。
「そうだね。うん、それでいいと思う」
 立ち止まり、暖かな微風に揺れる長髪をそっと押さえて。静音は守羽の全てを受け入れる。
「私達はどこまでも貴方に付いていくよ。その途上で起きた罪も責任も、私達全員のもの。守羽一人だけで抱え込まなくたって大丈夫。私も由音君もそういう覚悟でここにいる。……だからそんな、暗い顔をしないで」
 巻き込まれたわけではない、自分の意思でここまで来た。守羽もそれを知っていながら、それでも一人で抱え込みがちな性分は中々治らない。既にこの身、この魂までを彼と共に在り続けることを誓ってすらいるというのに。
「一人じゃ潰れちゃうような重いものでも、分担すればきっと楽になるよ。だから私にも分けて、最後まで一緒にいさせて。お願いだから、置いていかないで」
 背中に片手を擦り寄せて静音が守羽の身体に触れる。強く掴むわけでもなく、それでも絶対に放すまいとする強い想いを掌から伝えて。
 撃ち放たれる一本の飛矢、それがアーバレスターたる名の由縁。加わった時点で、あとはもう目的へ向け真っ直ぐに突き進むのみ。何を犠牲にしようとも。そういう気概を込めて命名したはずだった。
 それを、組織の長が再認識させられることになるとは。まったくここまで不甲斐ないと苦笑すら浮かばない。振り返らず、ただ花畑を視界に収めたままこくりと頷く。
「はい。……はい、分かりました。一緒に背負ってください、最後まで付き合ってください。絶対に離しませんから。置いてなんて、行きませんから」
 思えばことここに至るまで、自分は支えられっぱなしだ。弱気になれば由音に檄を飛ばされ、迷っていれば静音が道を照らしてくれた。
 しっかりしなければならない。今や自分はかつての父親と同じ長の立場にある。誰一人置いていくことなく事を終える。その為にやれることは全てやる。それが外道の所業でも。
「おう、まだこんなとこをうろついてやがんのか。花畑以外何もねえってのに」
 声に面を上げると、この世界を統べる王がそこにいた。
 石畳の道の向こうから巨躯がずんと現れ、二人を見下ろして意外そうな顔をした後に軽く笑う。とても敵に向けるべき表情ではないと、守羽には思えた。
「アンタこそ何してんだよ王様。お花にお水をやりに来たわけでもあるまいし」
「いやわかんねえぞ?このナリで案外そういうのを愛でたりするかもな」
 冗談に冗談で返し、武器も持たずに妖精王は風に揺れる花々に目を眇め、
「行くとこねえならちょっと付き合えや神門の。それなりにもてなしてやるからよ」
 二人が返事をするより早く踵を返し王城へ引き返して行った。付いて来るのを疑いもしていないような足取りに思わず嘆息する。
 せっかくの二人きりを、とまでは言わない。王も名指しで呼び出した以上は何か思うところあってのはずだ。付いて行くだけの価値はあるのだと思いたい。
 だが。
「はあ…」
 やはり僅かばかりの憤りはある。色とりどりの花畑に男女の二人。ここまでムードの整った舞台はそうそうなかろうというもので。端的に言って絶妙なタイミングで邪魔されたと苛立ってもいる。
「行こう、守羽。妖精王様も考えなしに連れて行くわけではなさそうだし」
 それでもこの先輩がそう言うものだから、守羽としてはおとなしくあの後ろ姿を追い掛ける他ないわけなのも確かであった。
 しかしそれでも、守羽にとってはそれに続いた台詞が幾分なりとも荒んだ心を癒してくれた。
「……きっと、月光に照らされた花畑も綺麗だよ。夜になったら、また一緒に見れたらいいね」
「…はい。見に来ましょう。―――今度こそ、二人っきりで」
 これだから久遠静音という女性は侮れない。こういう時に年上らしさを見せてくるから。
 そんな風に言われたら、夜を楽しみにしながらも妖精王の戯れに付き合うしか選択肢は残されていないのだから。