第九話 不穏


「えー!ユイどっかいっちゃったの?」
「ああ、朝早くからな」

 王城での豪勢な朝食を満喫しながら、由音の不在に疑問を口にしたシェリアが立ち上がる。
「んもー。せっかくいっしょに遊ぼうと思ってたのに!ねーシズ姉」
「うん、そうだね」
 遊びに来たわけではないんだけども。そう言い掛けて、守羽は結局何も発することはしなかった。
 妖精界全体を震撼させるであろう、大罪人の奪還は今夜行う予定だ。
 それまでの間くらい、好きにさせてもいいだろうと思った。そもそも、それまで自由にしていいと言ったのは他ならぬ自分なのだ。
「くあぁ…飯食ったらまた眠くなってきた。オイ旦那の倅、眠気覚ましに殴り合いしようぜ」
 パンを食みながら欠伸で目尻に涙を溜めるアルの馬鹿げた誘いに辟易する。その思いは隣の音々が代弁してくれた。
「バトルジャンキーはこれだから困るのよね。二度寝したいのならそのまま永眠できるように特製の子守歌聞かせてあげましょうか?」
「こっちのセリフだクソ魔獣。これ喰い終わったら表出ろ」
(朝飯はちゃんと食べるのか…)
 出された食事を完食する妙な律義さを見せるアルへのツッコミは胸に留めるだけにしておいた。



「あら東雲さん、おはようございます。こんな朝早くからどうしました?」
 由音が起床して洗面を済ませてすぐ向かった先はといえば、妖精界で王城を除き唯一知っていた場所。
 シェリアの実家たる、シャルル大聖堂院。
 数度のノックで扉を開けたセラウは、由音の姿を認めるなり笑顔で出迎えてくれた。それと同時に、家の中でドタバタと軽い足音が右往左往する音も聞こえる。まるで招かれざる客人の突然の来訪に慌ただしく逃げ回っているかのような。
 それを耳にしながらも、由音は片手を挙げて大きく挨拶を返した。
「ちっすおはようございまっす!!遊びに来ました!」
 家中に響くほどの大声で放たれた宣言に、セラウ以外の住人達は同時に思った。
 マジかこいつ、と。



 ―――妖精界用に設定し直した腕時計の示す時刻は現在六時三十分。
 ―――作戦の決行まで、残り十三時間と半。



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 王城に常設されている医務室のベッドでは、包帯に身体の八割ほどをグルグル巻きにされた樽のような図体の男が寝そべっていた。
「おはようラバー。傷の具合はどうかな?」
 そこへ現れたのは赤いベレー帽を被った子供。いや子供のように見えるだけであって、生きた年月だけで見れば寝ているラバーと呼ばれた中年風よりも上ではある。
 『イルダーナ』として同じ組織に籍を置く同僚、ティトの見舞いにラバーはフンと鼻息一つで答える。立派な顎鬚が息に煽られてゆっくりなびいた。
「見ての通りだ、ティト殿。問題無い」
「いや見た目通り酷い具合なんですけど?」
 ティトに続いてやって来た金髪の美女の苦言に、ラバーはいよいよ顔を顰めた。
「なんじゃいお前も来たのか」
「こーんな美人さんにお見舞えてもらえて、ちょっとは鼻の下伸ばしてもいいんですのよラバー?」
 話す声だけで人を魅了するような声色をした人外、ラナは長い金色の髪を片手で払って果物の詰まった籠を傍の棚に置く。
「果実だぁ?酒持ってこんかい酒」
「消毒用のアルコールならそこの棚に入ってますのでご自由に」
「飲用じゃないからねそれ、飲んじゃ駄目だよ」
「知ってますわいそんなこと」
 ドワーフに近い性質を持つ靴造りの妖精なら消毒用でも本気で手を付けそうだからと念押ししたのだが、ラバーにとっても当たり前のことだったらしい。失言だったと反省する。
 先の妖精界侵攻に当たり、防衛に回ったラバーはアルと対峙し敗北した。その後に回収され手当てを受けたのだが、その怪我は予想以上に軽微なものだった。
 手加減をされていた。そうとしか思えないことに歯噛みする。
「あの小僧め。少し見ない内に腕を上げおったわ」
 加減した上での勝利。それは純粋に彼我の実力差を示している。
 確かにラバーは妖精種の中では非常に稀有な、戦闘に特化した者とは違う。だが場数自体は相当に踏んできた自負もあった。
 あんな歳若き妖精に遅れを取るようなことがあってはならなかったのだ。
「アルもアルで、人の世界でかなりの経験を積んできているんだ。特に『突貫同盟』とやらが成立してから先はね」
 人間界で途方に暮れている妖精種の保護と守護を目的として動いていた彼ら『イルダーナ』とは違い、『突貫同盟』はそれこそ闘う為だけに組織された集団と捉えて相違無い。その全員が並々ならぬ修羅場を踏み越えて来ている。
 その中でも一際突出していたのがアルと、そして神門旭だ。
 両名共に共通するのはこの世界を裏切ったこと。アルは生まれ育った国への謀反、旭は女王筆頭候補の拉致誘拐という形で。
 ただ、とティトは思う。
 言い換えればそれだけ。二人はそれ以外のことには関与していない、と考える。
「…やはり、例の件には関係なさそうだ」
 『イルダーナ』が人間界に降りる時、基本的に目的は人の世で行き場を失った同胞を妖精界グリトニルハイムへ迎え入れることを主目的としている。一時は神門守羽もそのつもりでレイスを遣わせた。
 だがここ最近の『イルダーナ』は違う目的の下、王命に従い人間界を探索していた。
「それは、妖精殺しの件ですの?」
 ラナはナイフで果物の皮を丁寧に剥きながら、ティトの呟きを拾う。
「うん。彼らを疑う声も強かったようだけど、僕はそうは思えない。目的を果たした彼らがこれ以上僕達妖精から敵意を集めるようなことをする、そのメリットはどこにも存在しない」
 閉鎖的な環境を維持させる妖精界では外の情勢を知る術はあまりにも少ない。その為、人界を好む極一部の妖精種と契約を交わし、定期的に外の情報を送ってもらっていた。場合によってはその者達に他の妖精達の保護を任せることもあり、この関係は『イルダーナ』にとって生命線とも呼べる貴重なものだった。
 それが、この数ヵ月において一気に消失した。
 初めは連絡の途絶。それから近傍の妖精に様子を見てもらうよう調査を依頼したところ、それも半ばで報告が中断、それ以降は一切返答が無い。
 協力関係にあった人界の妖精達は、そのほぼ全てが連絡不能。最期に報告をしてくれた妖精の情報により、彼らが皆一様にして何者かに殺害されたものだと判明した。
 早期の内に事を重く見ていた妖精王の手はしかし回らず、結果として外部からの情報支援能力を失った妖精界は『イルダーナ』を調査に出すという苦肉の策を選ばざるを得なくなった。
 妖精王と妖精女王の許可により、グリトニルハイムの一部を切り取った隠匿結界による隠れ家のおかげか、『イルダーナ』の面々は他の妖精達のように襲撃されることなく任務を進めることが出来た。
 だが、結局のところ妖精殺しの犯人は見つけること叶わず、その途中で発見した『鬼殺し』・神門守羽の存在から神門旭の存命を確認。急遽任務変更によりこれの捕縛という形で流れてしまう。
 『突貫同盟』は既にその役目を終えていた。眩ました行方をわざわざ誇示するような暴挙に出るとは思えない。神門旭も所在がバレたことは想定の範囲外だったような反応を示していたし、これはほぼ確定だろう。
 ピンポイントに行われた情報の隔絶。これにより発生する相手側の利益。その先にある最終目的は。
「……不味いな。
 進路転換した神門家へのことで手一杯だったが、もしかしたらこちらの方が、急を要するべき案件だったのかもしれない。