Neetel Inside ニートノベル
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 廃墟と化した妖精界の瓦礫を踏み砕いて、巨馬に跨った魔神マルティムはひたすらに王城を囲う岩壁の結界に視線を固定していた。
 もう間もなく彼らが同胞、魔神ブエルの放つ瘴気と紫霧が押し寄せる。同じ魔神にはむしろ心地良さすら覚えるそれも、他の種族にしてみれば猛毒も同然。脆弱な妖精種などひとたまりもあるまい。
 だから、そろそろのはずだ。
 何かしらアクションを起こさねば、奴等は自らが造り上げた檻の中で死を待つだけになる。

「……来たか」

 顔を上げる。その姿を認めるまでもなく、相手は哄笑と共に降って来た。
「ハハッハァ!お望み通りか?相手してやるよ転移野郎!!」
 褐色の肌、口元から覗く牙。およそ妖精とは思えない風貌の男が両手に持つ短剣を二つ、落下途中から魔神へ投げつける。
「くだらないな」
 散々引き籠った挙句、どんな一手を打って出るのかと思えば。形振り構わぬ特攻とは拍子抜けにもほどがある。だが、それもあの戦闘狂らしき妖魔の男であれば無理からぬことか。
 ハルバードを持ち上げ、切っ先を向ける。
 転移で回り込んでもいいが、それにしてはあまりにも馬鹿らしいと魔神は判断した。
 途端。ニィ、と。
 こちら側をとことんまで見下した、いかにも神格種らしい行動にアルの方こそ馬鹿馬鹿しくなって、笑みをさらに深くする。
 投げつけた短剣二つが、ハルバードに払われるより前に罅割れた。
「ああまったく!くだらねェなクソ魔神!〝燐光輝剣クラウソラス!〟」
 そうして光り輝くそのを叫び、自壊した短剣は内より瞳を焼く莫大な光量をばら撒いた。
「ッ…」
 目視で座標を定める転移の使い手は、その数秒呆けたように馬上で留まるしかなかった。



『結界出てからは初っ端から勝負だ』
 王城での作戦会議。戦力も人員も何から何まで足りない中でこそ、決められた作戦は至極単純なものとなった。
『速さが全てになる。この二重に張られた結界だってそう便利なモンじゃねえ。カーテンみてえにほいほい開けたり閉めたり出来るわけじゃねえんだ。ましてや数人程度が出入りするだけの小さな口を開くってんなら尚更に精神を使う』
 妖精王の説明もむべなるかな。結界術とは本来発動時点で完成しているものだ。そこから手を加えていけばそれだけ余計な労力を使うし、何より維持や強度を損なう可能性も出て来る。
 結界を出る一瞬だけ穴を作りすぐさま通り抜ける。転移の魔神に間隙を突かれることもないほどの瞬間で。それを成し得るのが『聖殿』にて妖精界の掌握を担う妖精女王ルルナテューリの御業となる。
『やれて数度が限界だ。一度出たらもう事が済むまで戻れることはないと思え。この妖精界せかいは既にガタガタで、おまけに守羽の扱う全力はさらに具現界域の寿命を削る。極力ルルへの負担は軽く済ませたい。この先も何が起きるかわからんからな』
 それは王として伴侶を慮る考えではなく、あくまでもこの戦争での展開を有利に進めたいが為のもの。その意味合いでイクスエキナは話を進める。
『出てすぐ、決めた面子で北方の魔神をやれ。と同時に転移の魔神を押さえろ。野郎に結界出る瞬間を見られたら最悪内部に侵入されかねん』
『いいぜ。両方俺がやる』
 剣呑な雰囲気が満ちる中でも、飢える獣のように眼光を奔らせる妖魔の青年が片手を挙げて敬礼の真似事をしてみせた。



「今だオラぁ!畳み掛けろ!!」
 妖魔の威勢に応えるように複数の声。未だ視界を強烈な光に奪われたままだが、転移を抜きにしても魔神たる力の発揮は問題ない。
 どこから仕掛けてこようが無傷で反撃カウンターを見舞えるようハルバードを両手で握り愛馬共々に構える。
 だが。
「……、…?」
 身構えた数秒も徒労に、いつまで経ってもただの一撃すら振るわれることはなく。魔神の視界を奪った貴重な時間を過ぎマルティムは塗り潰された白光の先に崩れた妖精界の姿を取り戻す。
 そこにはこちらを見つめる二対の瞳があった。
「…何を。している?」
 一人は少年。何かの具合を確かめるように空いた両手を握り開きを繰り返し、絶えず警戒の眼差しを向け続ける。
 一人は少女。風に乗り地面から僅かに浮いた状態で少年のやや後方に控えていた。
「下手に仕掛けるよりも、これが一番時間を稼げると思っていた」
 少年―――余裕のない表情で振り絞るように挑発じみた声色を捻り出す神門守羽は強張った笑みを作る。
「優先順位が違う。お前は後回し……手駒二つで充分ってことだ」
「って、ことっ!」
 いつもの活発さを僅かに控えたシェリアも、猫の耳をほんの少し倒したまま強気に守羽の言葉に乗って言い放った。
 とうに二人以外の姿は影も形もない。真っ先に飛び込んでくると思っていた妖魔の男すらもが、この場から消えていた。
「そうか。ブエルを先に…」
 人間と妖精、種族の混成した連中はその敗北条件のひとつに妖精界の壊滅がある。この世界この国に住まう妖精達も、魔神の毒に侵されれば全滅は火を見るより明らか。
 だからまず毒の元凶を断つ。転移による脅威は結界により緩和されたと、だから相手取るのは今でなくてもよいと。
 そう、言外に伝えて来る行動内容だった。
 おまけに、転移の追撃を避ける為に残された戦力は混じり物の人間に、妖精の小娘の二人。
「そうか。なるほど」
 状況を理解した魔神がぽつりと呟くと、その全身から悪寒を誘う濃密な殺意が噴出するのを二人は確かに感じた。
「「……!!」」
「どう捉えたものか。その眼は腐り落ち、今や彼我の差すらも見比べられなくなったと考えてよさそうだ。だろう?そうでなければ」
 憤怒に滾る激情は愛馬にも伝わり、その嘶きは大地を震わせ膨張した馬脚が深い亀裂を生み出す。
神格わたしを前にしてそこまでの暴挙は罷り通らない」
 狂っている。壊れている。
 大いなる魔神の一角にたった二つの脆弱極まりない生命が僅かでも時を奪えると本気で思っているのなら。心に大きな歪曲ないし損傷がなければ到底行き着かない発想だ。
 まあ。どうでもいい。
「問題ない。精神と肉体、壊れる順序が入れ替わっただけの話なのだからね。安心していい。君達の身体はそれより遥かに細切れに、丁寧に丁寧に刻んでやろう」
「……やって、みろ」
 震えの止まらない手足を叩いて黙らせ、怯えるシェリアに言い聞かせるように。
「テメエらの好きになんてさせない。ここは神聖にして理想を体現した妖精達の国土。間違っても魔神だの魔性だのが足を踏み入れていい場所じゃねえんだ。シェリア!!」
「っ!…うん!」
「足止めだなんて回りくどいことしてられっか!倒すぞ!魔神の一体を、今、ここで!!」
 その口調語調はあえて守羽本来のものより外して、彼の相棒にして頼れる親友の意気を真似たもの。一番シェリアに響くであろう言葉。
 狙い違わず打算は直撃し、
「わかった、うん…だいじょぶ!やろう!!」
 属性出力を跳ね上げ、暴風を纏うシェリアの闘志を再燃させる。

 かくして始動した作戦の開幕一戦。
 転じ移るは地獄の大公、魔の神格を有する屈強な体躯。
 鼻より上を覆う火の意匠をあしらった仮面の内に滾る炎熱の殺気。大蛇の頭を先に持つ太い尻尾が威嚇するように短く鳴き、蒼白の巨馬も主と意志を共にする。
 瞬きすら許されぬ転移使いマルティムの暴威が振るわれる。

       

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