小高い丘の頂上から異世界への孔を通って出た先は、これまた丘の頂だった。ただし、入った時とは違い周囲は一面薄緑の大草原。
 ある一点へ視線をやればそこには花畑、また視線をずらせば大森林。遠くには湖らしきものが水面を反射させ、自然の色とりどりがそこら中にあった。
 まさしく別世界。木々と草花で覆われた空間に、守羽達はいた。
 しかし、澄んだ空気や大自然の絶景を楽しんでいる暇はなかった。
 丘の上へ出た彼ら六人は、そこで自分達の周りを円形に取り囲んでいる妖精達に出合い頭で警告を受けた。
「動くな!少しでも妙な動きを見せたら即座に実力行使に移る!」
 一目で妖精だとわかるのは、天然ものでありながら人間では決してありえない赤青緑銀藍といったカラフルな頭髪と薄い半透明の羽を生やしていたから。
 取り囲んでいる中でリーダーと思しき青色の髪をした男が声を張り上げるのを聞いて、先陣切って飛び出した結果出鼻を挫かれた守羽が、納得した表情で、
「…そりゃあ、父親を追い掛けて乗り込んでくる可能性を見越したら、まず打つべき手は出現点で出待ちすることだわな」
「オレらが前に意表を突いて侵攻したのをしっかり学んでやがる。同じ轍は踏まないってことか」
 左隣のアルもうんうんと頷いてふっと微笑む。ガチンッと童子切安綱の柄を掴む音が鳴って、周囲の妖精達の警戒がより一層強まった。
「む…無駄な抵抗だ!この後方にも我らの仲間が控えている!これ以上妖精界へ踏み込むのなら、本当に容赦はしない!」
「容赦はしない、…ね」
 引け腰の妖精へ、守羽は踏み掛けた片足を引いて相手の眼をじっくり見る。色こそ違えど、そこに込められた動揺や怯えを映す瞳は人間のそれと遜色ない。
 だから、守羽は妖精として人間として、感情を持って言葉を扱う生物としてまず対話を試みる。
「なら俺の願いを聞いてくれ。お前達の仲間が連れ去った人間、神門旭を返してくれ。それさえ叶えてくれるなら、俺達はこれ以上何もしない。おとなしく退くし、二度とこの世界の土を踏まないと約束する」
 穏やかに告げた要求に、彼ら妖精はさらなる敵意と警戒を高めた。
 そうなるに至ったのは主に、『神門旭』の名を出した段階で。
「やはり、大罪人を奪還しに来たか…」
「そんなの聞く耳持てると思うのか、半妖!」
「神門旭が何をしたのか知っていて、そんなことを言っているのかお前は!?」
 怒濤の如く昂った感情を言葉にして吐き出す妖精達の勢いに、守羽は目を細めて短く息を吐く。
「…えらい嫌われようだ、うちの父さんは」
 もはや苦笑すら浮かぶ状況で、守羽の背中にそっと掌を添える人物がいた。ポニーテールに髪を束ねた久遠静音だ。
「守羽…」
 実の父親が貶されていることに、実の息子の守羽以上に辛い表情をした静音が上目で守羽を見つめる。
「俺は平気ですよ。でも話し合いは通じそうにない。静音さん、そのまま俺の後ろに」
 にこりと笑って、静音の不安を払拭させた守羽が引き締めた顔を正面に戻す。
「アル、背後と側面を薙ぎ払え」
「あいよ」
「分かってると思うが、殺すなよ」
「半殺しは勘弁な」
 愉しげに瞳を見開いたアルが柄から刃を引き抜くまでの瞬間に、短く守羽は相棒へ指示を送る。
「正面ぶち抜け、由音」
「ッがあぁぁってんだァ!!」
 邪気を放ち瞳を漆黒に染め上げた由音が衝撃波を撒き散らしながら突撃したのに合わせて、抜刀したアルの一振りが周囲の妖精を吹き飛ばしながら丘を破断。いくつかの岩塊へ分断して土煙を噴き上げる。
「音々!シェリアっ」
「はいさ」
「うん!」
 守羽の声に反応し、崩れゆく丘の上で静音を抱えた音々がシェリアの風に乗って安全確実な速度で降下するのを確認し、守羽は由音に続いて丘の先の草原で待ち構えていた妖精の集団へと拳を振るう。



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 妖精界グリトニルハイムは、そこに住む妖精達が共通して願い想像することによって生み出されている空間だ。
 つまりこの空間、この世界は、無数の妖精達の存在あってこそ存続・維持を続けていられる代物である。
 その特性故、この世界は彼ら妖精達の願いを害する存在に対し過敏に反応を示す。さながら生物が肉体の内側に入り込んだ病原菌を駆逐する働きを見せる時のように。
 妖精界はこの特性を利用して、外敵の侵入を即座に察知し解析する機構を生み出していた。
 グリトニルハイムの王国地下深くに存在する粗削りされた正方形空間いっぱいに、正円で描かれた幾何学模様がある。淡く光を放つ正円の外周にはそれぞれ正確な方位に八名の高名な妖精達が胡坐や正座など思い思いの座りやすい恰好で配置していた。
 ここは妖精界という名の土地に、無断で入り込んだ者達の存在を明らかとする間。
 一人一人が閉眼したままぽつぽつと感知した存在を明かす。
「反応は六」
「一人は妖精種と人間種の混血。これが『鬼殺し』と名高い神門守羽か。へえ」
「懐かしい気配もあるな。『打鋼』…いや既にこの妖精界では裏切者、『反魔』のアルか」
「ついでに『魔声』、セイレーンも入り込んだ」
「純粋な人間もいるよ。異能持ちのようだけど」
「純粋な妖精もな。やはり侵入の手引きをしたか、風精に愛されたケット・シーの幼子め」
「だがコイツが一番異端だな、悪霊憑きの人間。なんだこの深度、悪霊の浸食率が尋常じゃないぞ。これだけ遠くても濃い邪気を感じる」
「最近噂に上がる『鬼殺しの懐刀』、『黒霊こくれい憑代つきしろ』か。これはもう人間と思わぬ方が良い。性能は並の人外を軽く超えるレベルだ」
 八名の男女の声が示し合わせたように次々と間を空けることなく続く。それらは決して独り言などではなく、地下の円陣の外側からそれらの言を受け取っていた人物は次々と八つの口から規則的に吐き出される敵性勢力の戦力や性質の情報を取得する。
 立つのは白装束のファルスフィス、やや離れた後方で片膝を着いて控えているのは黒髪の青年レイス。
「ふむ。来たな」
「……自分が出ます。次の援軍第二波と共に」
 ゆらりと立ち上がったレイスが、確固たる眼差しで老齢の背中へ力強く告げる。
 コツと杖を突いて振り返ったファルスフィスは、その様子を見定めるようにじっくり見て、洞察する。
「ラバーも行かせる。しばし待て」
「…承知しました」
「敵の数は関係ない。これはれっきとした戦争だ」
「わかっています」
「神門守羽と共に乗り込んできたのだ。私情と迷いは捨てろ。よいな」
「……必ずこちらへ連れ戻します」
 絶妙に噛み合わない会話を経て、レイスは踵を返して地上へ戻って行く。
 その背中を静かに見送って、ファルスフィスは白鬚を撫でつけながらゆっくりと息を吸い、そして長く深く吐いた。
 感情を押し殺したように見えて、その実しっかりと『ケット・シーの幼子』の情報に耳を傾けていたレイスの覚悟たるや、果たして如何なものか。



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(『イルダーナ』は、皆で考えた名前だ。他ならぬ、お前の為に)
 地上への階段を規則正しく、急がず焦らず淡々と上り続けるレイスの胸中はとても混沌としたものだった。
 目的は明確で、やるべきことも決まりきっている。
(そのお前がいなければ、なんの為の『イルダーナ』だ。この我儘駄猫め…)
 を蹴散らし、仲間・ ・を取り返す。
 ただそれだけのこと。
 だが、
(お前まで去るのか、シェリア。それを選ぶのか。彼女と同じように、お前も人間と共に行く道を)
 妹同然に世話を焼いてきた少女を惑わせる連中を打倒し、彼は彼の正義の下に全力を賭す。
 やるべきことはそうと判っているのに、相手を悪と断じて行動できるはずなのに。
(…一体、正しいのはどれだ?)
 自らの進む道を是と確信し、シェリアらの進もうとしている道が非であると、今のレイスにはどうやっても言い切れなかった。割り切れなかった、が正しいのかもしれない。
 その中で分かり切っていることは一つ。こちらとあちら、是にせよ非にせよ歩む道はいくら続いていても決して交わることはないということだけ。
 なれば、この衝突はどうあっても避けられない。
 決意を固め直したレイスが、地上への階段の終わりを踏み越え戦線へ加わる。