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「なぜか今日は」The Birthday

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動画はこちらhttps://youtu.be/ZHuk9gnWFW8
歌詞http://j-lyric.net/artist/a04c899/l02496b.html


 背の高すぎる人がギターを背負って歩いている。片方だけの子供靴が寝転んでいる。お祭り会場に向かう浴衣姿の少女が友人に絡みすぎて煙たがられている。鳥の振りをしたドローンが入道雲に向かって飛び込んでいく。なぜか今日は殺人なんて起こらない気がする。路面で干からびたミミズに群がる蟻の群れを陽光が焼き始める。蟻の数だけ小さな炎があがり、すぐに燃え尽きていく。

 
「大好きだった人が死んだの」
「昔の恋人の話?」
「いや、ちょっと違うな、大好きだったバンドのギタリストが、亡くなったの。バンドはもう解散した後だったけど」
「最近の話?」
「けっこう前。それで、聴くと悲しくなるから、長い間そのバンドの曲は聴かなくなって。でも他のメンバーは活動していて。でもこの声にはこのギター、ってイメージから私は抜け出せなくて。好きなんだけれど、やっぱり忘れられなくて」
「昔の恋人の話?」
「違うよ。好きな曲の話」

 ギターを背負った黒いスーツの男は足が長すぎる。夏祭りでは即席の恋人達が戸惑いながらぼったくりのくじ引きで最下等の賞品を手に入れる。誰も知らない政治家が来賓の挨拶をしている。泣いた子供がもう笑っている。星が輝き出す前にフライングした花火が打ち上がる。なぜか今日は殺人なんて起こらない気がする。誰も彼もが生きている気がする。

「そのボーカルの人の声に合うのは、亡くなってしまった人が弾くギターの音色しかない気がして。好きな曲なのに何か物足りなくて」
「花火が始まるよ」
「でも久しぶりに聴いた新しいバンドの方の曲を聴くと、亡くなったギタリストの事を歌ってるみたいに聞こえてきて」
「足元に気を付けて。小さい子がいる」
「あなた、人の話を聞いているの?」
「最近の曲は知らないんだ」

 小さな祭りで小さな花火が打ち上がる。誰かと誰かが手を握る。花火の燃えかすが蝉の脱け殻に降り、殻だけの足が少し歩く。お祭り会場中央に組まれた櫓で盆踊りの準備が進められている。花火が空で弾けるのに合わせて踊る少女がいる。その傍らで今はもういない父親が彼女を見守っている。背の高すぎるギタリストはギターを背中から下ろす。炭鉱節や河内音頭が流れる横で、彼はアンプもエフェクターもなしに歪んだ音色でギターを弾き始める。少女の幼い弟だけが彼のギターを聴いて体を揺らしてノリ始める。まだ二歳に満たない彼の躍りを見て、和太鼓を叩く法被姿の男の手が勢いを増す。


「今日はありがとう」
「どうしたの急に」
「私の話を聞いてくれて」
「いつでも聞くよ」
「嘘つき」
「盆踊りの輪に入る?」
「踊れないでしょ。見とく」
「さっきの男の子、ノリノリだね」
「何か違う曲に合わせてるみたい」
「歌い出したよ」

 んー、んー、とか、あー、あー、と幼子が歌う。背の高すぎる黒スーツの男が弾くギターの名前はテレキャスターという。入道雲を突き抜けたドローンは操縦者の手から解放され、飛行機雲へと生まれ変わる。なぜか今日は殺人なんて起こらない気がする。いなくなってしまった人なんて一人もいない気がする。花火の燃えかすを浴びて動き出すのは蝉の脱け殻だけではない。お祭り会場のあちこちで、魂と魂で人が触れ合っている。太鼓の音が、花火の音が、ギターの音色が、幼子の歌う鼻歌が、空に溶けていく。何もかもがあって、何もかもがないような。祭りが終われば消えてしまう逢瀬の記憶を、幼子は持ち続ける。家に帰っておもちゃのギターを弾く。その姿を姉が笑い、母親が写真に撮る。幼子はおもちゃのギターを抱えたまま眠る。夢の中で歌う鼻歌も夢の中の空に溶けていく。

(了)


Wikipediaアベフトシ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7
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