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「Whisky In The Jar」Thin Lizzy/METALLICA

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動画はこちら
https://youtu.be/wyQ-tScuzwM
メタリカによるカヴァーバージョン
https://youtu.be/wsrvmNtWU4E
ライブバージョン
https://youtu.be/9MNdOCQYOL8



 高校時代のバンド仲間が集まる同窓会ライブに行ってきた。小さなライブハウスを借り切って、今でも活動している人達は本格的に、楽器に触る事のなくなった人達は見てるだけでも構わないという事だった。高校入学からは二十五年、卒業からでも二十二年が経つ。ほんの数年前くらいの事として思い出せるのに、実際は人生の半分以上前の事な話なのだ。
 当時とさほど変わらない印象の人もいれば、完全に中年らしくなってしまった者もいる。中学生の子らもいて、聞けば誰彼の子供だという。
「泥のとこも連れて来れば良かったのに」
「うちの子は八歳と三歳で、まだ早いよ」
「子供らにどんな音楽聴かせてる?」
「システムオブアダウンで踊ってる」
「俺のとこはランシド」
 生粋のパンクロッカーの彼はこの日の為にモヒカン頭を決めているが、全体的に髪の毛が薄くなっていた。鋲だらけの皮ジャンは相変わらずだ。

 ステージではレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「ノウ・ユア・エネミー」が演奏され、同じ面子でKORNの「ゴット・ザ・ライフ」が続く。
 何人かメンバーが変わり、X JAPAN「SCARS」が始まる。イタリアンマフィアのような風貌のボーカルは当時と変わらずやはり声が出ていない。彼は次のPUFFYのコピーバンドではドラマーに変わる。女性ツインボーカルの一人は、昔私が告白して振られた人だ。
 複数のバンドを掛け持ちしている人も多かった。
 主力面子の覚えてる限りのバンド変遷など。

兵庫(中学からの同級生。ベース→ギター)
イエモン、BUCK-TICK、マッドカプセルマーケッツ、X JAPAN、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、Hi-STANDARD(私がギターで参加。彼はベース&ボーカル)、
オリジナル→インディーズでCDデビュー→結婚で引退

和之(ギター、ボーカル)
パンテラ(高一で!)、KORN、オリジナル、マッドカプセルマーケッツ、レイジ、NIRVANA(私が借物ベースで参加)、オリジナル、
全国放浪→悟りの境地

真二(ドラム)
パンテラ、オリジナル、ミッシェル・ガン・エレファント(私がギター。同級生の中で一番の長期継続バンド)、マッドカプセルマーケッツ、レイジ、Hi-STANDARD、NIRVANA、
専門学校→就職→ダルダルのバイト先を私に引き継ぎ

私(ギター、ドラム、ベース)
イエモンやグレイやらごちゃ混ぜ、イエモン(ドラム)、ミッシェル・ガン・エレファント、Hi-STANDARD、NIRVANA(ベース)
途中から文学少年にシフトチェンジ→ダルダルアルバイター→失職→日雇い→アルバイト→就職→結婚


 うちの高校では当時、ライブイベントの機会が年に三回あった。一学期末と三学期末に行われる「若人の集い」というイベントと、秋の文化祭と。軽音部などがあるわけでもないのに、開催時には学校と懇意の楽器屋が音響設備のセッティングに来てくれた。文化祭以外は半ドン授業の土曜日に開催されていたので、完全週休二日制になってからは、「若人の集い」は廃止されたという。学校新聞に「ディープ・パープルのライブを見ている最中に熟睡してしまった」という話を連載していた、イベント顧問みたいだった国語教師も、私達の卒業と時を同じくして転勤してしまった。

 大体一年の頃はメンバー構成も演奏曲もごちゃ混ぜバンドが多くて、長続きもしない。一つのバンドのコピーで統一した方がクオリティが高くなる。演奏レベルと面子の濃さで言えばレイジのコピーバンドが凄かったが、一番を上げるならマッドカプセルマーケッツのコピーバンドが、練度と私好みの選曲で一番かもしれない。オーディエンスが多数ステージに乱入して、一部ステージが崩壊したX JAPANのコピーバンドや、普段はごく真面目な普通の生徒がPENICILLINのボーカルを完コピしていたバンドも印象に残っている。
 
 といった、記憶に残っている面々や、「ほんとにこんなバンドあったの?」みたいな人達が次々とステージでパフォーマンスしては去っていく。私はドリンクチケットを赤ワインと引き換えて、久しぶりのアルコールを口にする。安物の酸っぱい赤ワインを飲みながら、ライブハウスの後方から、見知らぬバンドを眺める事が好きだった事など思い出す。
 頭が痛くなってきたが、手ぶらで来たのでバファリンがない。
 あまり遅くまではいられないし、そろそろお開きだろう、と思っていたら、「お前何で今日ステージ上がってへんねん」と、絡まれた。
「だって練習してないし、ギターもないし」
「最後お前らが締めたやろうが」
 そういえば高校最後の若人の集いでは、私達のミッシェル・ガン・エレファントのコピーバンドがトリを努めた。四十五分の長尺だったと思うが、よくそんなに演れたものだ。

 いつの間にか妻と子供達が会場に来ていた。娘のココが「お父さん、重たいから早く持って」と、ボロボロのストラトキャスターを私に手渡す。息子の健三郎は中年パンクロッカーのモヒカン頭をツンツンと触らせてもらっている。

 東京就職後音沙汰のないボーカル、兵庫結婚披露宴後特に会う機会のなかったベース、合計三つのバンドを共にしてなおかつパソコンの師匠かつ私の書いた小説の初めての読者だったドラマー、が既にステージ上でスタンバイしている。
「ミッシェルの曲ですらもう弾けるか怪しいと思う」
「じゃあ何でもいいから好きな曲を」
 そう言われて、酒も入っているからと思いついたのが「Whisky In The Jar」だった。ウィスキーなんて飲んだ事はないが。
「シン・リジィの……」と言いかけてやめる。確か元々はアイルランド民謡だ。
「『Whisky In The Jar』、メタリカバージョンで」
 電気回路なんてとっくにいかれているはずの私のギターをアンプに繋ぐと、ディストーションの効いたサウンドが響いた。弾けるはずのないフレーズをスムーズに弾きこなせてしまった。初めて合わせるはずの曲なのに、スタジオで何十回も練習した曲みたいにグルーヴ感も出てしまっている。
 フロアで飛び跳ねている中年パンクロッカーの薄くなった頭皮の一部が剥がれて頭蓋骨が顔を出す。コロナ禍よりもずっと昔に潰れたはずのライブハウスで、私達は終わらないライブを続けている。

(了)
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