Neetel Inside 文芸新都
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土の中
第11話 家出娘

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 胸が高鳴っているけどドキドキではなくてハラハラだ──。
 煤けた扉の一点を凝視していれば落ち着くんじゃないかと思ったけどそんなことなくて、いつかちゃんが開けてくれるまでずっと胸のハラハラは止まってくれなかった。何よりも効果があったのは、いつかちゃんの顔だったのだ。
 わたしは胸がすうっとしていく感じを、心地良いなと思っていた。随分久しぶりの感覚だった。いつかちゃんは怪訝な顔をしていたけれど、もうそれは些細なことでしかなかった。
「ひ、久しぶり! お願い今日ここに泊めて!」
「……え?」
「実は、い、家出してきちゃったの! お願い、泊めて!」
「……よく分からないけど……どうぞ」
 さすがいつかちゃん! 判断が早い! と思った。

 小学校の最後の方からついさっきまでの間、わたしといつかちゃんは断交状態にあった。友人から「ホラー映画の世界の人」と称されていた頃のいつかちゃんをわたしは(一方的に)愛していたので、それからどんどん綺麗になり、普通に人と楽しく話し、男の子と一緒に歩くいつかちゃんがホラーから恋愛映画の世界に迷い込んでしまったように見えて戸惑い混乱し、最終的にはそんなことを未消化のまま本人にぶつけてしまったせいで泣かせてしまった。今ならわかる。すべてはわたしのせいだ。ファン心理を拗らせすぎたのが原因だった。だから謝りたいと思った。エルピード印の段ボールに取り囲まれたいつかちゃんの家の居間でこそ謝りたいと思った。
「……いまさらだけど、あの時はゴメンね」
「……あの時?」
「え? ピ、ピンとこない?」
「……こない」
 わたしと二人きりの時のいつかちゃんは、まだ半分ホラー映画の世界の人に思えて、少しだけ嬉しいなと感じた。髪型はおかっぱじゃないけど、表情や口調はあの頃のままだった。
「あ、あの、保健室で……」
「……私がお腹痛くなったときか」
「そう! て、え、お腹痛かったのあの時? ち、調子悪いのは分かってたけど……そっか、お腹、だったのか、そうか……」
「……生理だったから」
「せ、生理……」
 わたしにはまだきていないものだ。道理で、いつかちゃんが急に大人になったと思った。いつかちゃんは早かった。子供のわたしとは違って。
「……あの時、い、いつかちゃんを泣かせちゃったのが、ずっと心に引っかかってて……自分が悪いんだけど、そ、そこから、どう話していいかわかんなくなって……中学も一緒なのに、相変わらず、どうしたらいいかわからないままで……で、でも、今頼れるのが、わたしの中ではいつかちゃんしかいなくて……」
「……どうしたの?」
「……実は、両親が離婚して……正確には、まだしてないんだけど、離婚に向けて生活を分けていくっていうことを今してて」
 いつかちゃんは、毎度のことながらたどたどしいわたしの喋りを神妙な顔をして訊いてくれていた。気を抜いたら泣いてしまいそうだ。いつかちゃんが好きすぎて。これが“尊さ”という感情なのだろうか?
「わたしは、結局母親と暮らすことに決めたんだけど……一人にしてヤバそうなのは、そっちだと思ったから。でも、なんていうか……決めた後に、ち、ちょっとだけ後悔してて……あの人、エルピードに激ハマりだから、お父さんが家からいなくなってから、もう完全にそっち方向しか見てなくて……」
「……つらいね」
「…………つらい」
 もういい、と思った。言葉はいらない。わたしはいつかちゃんの隣にいって、その胸の中に飛び込んだ。もういい。どうなってもいい。いつかちゃんは受け容れてくれた。それだけで、充分すぎた。

 いつかちゃんの家で暮らし始めて二週間くらいになる。居候の身なので、わたしが食事を作っている。いつかちゃんと、いつかちゃんのママの分。いつかちゃんのママは前に母親と来た時よりさらに痩せて元気がないように見えた。たぶん、ESPとしての活動が上手くいっていないのだろう。
 いつかちゃんからは、エルピードの食品は好きに使っていいと言われているので気にせずどんどん使った。甘味料無添加の野菜ジュースはミートソースや煮込み料理を作る時に役立つし、フリーズドライの味噌汁の具も便利だ。確かに商品は悪くない。商品は。
 でも、これ売らないとママは困るんじゃないのかな? お金にならないんじゃ? そう思いつつ使っているけれど、口に出すのは憚られた。人には触れられたくない部分があるからだ。
「……どうせ売れないから、いいのよ。私たちの血肉にした方が」
 いつかちゃんはそう言う。そのとおりだ。だけど、これを売ることで利益を出すのがエルピードのESPの基本理念のはずだった。
 これはいつかちゃんには言わない方がいいと思っているけれど、もし今後長く居続けるようであれば、いつかちゃんのママにお金を渡すと決めていた。お世話になっているから。それが当たり前だと思うから。そこに、エルピードの商品購入分もひそかに上乗せしておこうと考えている。
 お父さんが家を出る最後の日に、わたしに通帳とキャッシュカードを渡してくれた。わたし名義のものだった。知らなかったのだけれど、お父さんは、わたしが幼いころから毎月貯金してくれていたようで、通帳の最後のページにはかなりの大金が記載されていた。
 ――わたしはきっと間違った。だけどすべては手遅れだ。

       

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