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青春小説集「タンクスラム」追加
「バックルック」

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 本当のことを書こう。
 私は山下チンイツと名乗ってはいるが、泥辺五郎という名前でもある。
 山下チンイツ名義では下ネタギャグを、泥辺五郎という名前では私小説風の話を書いている。同じ人間が作風によって名義を変えていた。

 さらに本当のことを書こう。
 これまで山下と泥辺は同一人物だということにしていたが、実は二人である。
 これまでの経緯を振り返って(バックルック)みよう。

 幼い頃から作文が好きだった私は、小学四年生の頃には、学級新聞に連載小説を任されるまでになっていた。今思えば拙い話であるが、当時のクラスでは受けが良かった。内容はオリジナルとは言い切れないもので、当時流行っていたアニメのパロディ小説であった。伝説の七個の「腎臓ボール」を求めて世界中を旅する中年夫婦の話だったと思う。腎臓ボールとは要は結石のことであった。

 当時不登校の生徒が一人いた。それが泥辺であった。私は担任の教師に提案された。「泥辺も小説を書くのが好きなんだって。一緒に連載させてやってくれないか」と。私は「部屋に籠っているだけでいい小説は書けませんよ」などといっぱしのことを言って許可した。

 翌月の学級新聞に掲載された泥辺の小説を読んで私は言葉を失った。そこには小説を書こうとして書けないでもがく一人の少年の姿が、私小説風に書かれていた。「小説を書きたかった猿」と題されたその小説は、パロディ小説を書いて悦に浸っていた私の心を抉った。私が本当に書きたかったのはこれだ、と感じた。

 私はすぐに泥辺家を訪ね、無理やり泥辺の部屋に上がり込み「合作しよう!」と持ちかけた。

 それが三十六年前の話である。

 二人の道は別れたり、また繋がったり、あれやこれやしたり。

 今では結局どちらがどちらを担当していたか分からなくなり、二人して私小説風の話や下ネタギャグを書いている。私たちはどちらがどちらでもよかったのだと、今振り返れば(バックルック)思えてくる。

 というわけで、これからも同一人物としてお付き合いください。

(了

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 本当のことを書こう。
 子どもたちと映画「ルックバック」を観た。
 Amazonプライムで独占配信開始、というのがXのトレンドであがってきたので知ったのだ。早速Amazonプライムを入れてみた。無料期間中に「ルックバック」を観られることを確認した。起きてきた娘に「ルックバック観られるよ」と伝えると「観る!」と反応してくれた。

 Googleドキュメント内を「ルックバック」で検索すると、これまで書いた文章の中に出てきた「ルックバック」についての言及を読むことができた。詳細はnote「耳鳴り潰し208」に記したのでここでは割愛する。そんなこんなで子どもたちと朝飯、夕飯時を利用して「ルックバック」を観た。

https://note.com/dorobe56/n/n79368a60a476?from=notice


 その結果私は、誰かと合作していた自分のことを想像してみた。そして「自分の青春を改ざんする」というコンセプトで書き始めたこの小説集に加えることにしたのだ。しかし私も、もう一人の人物も、結局書いていることに大差はなかった。もしも二人が男女で、二人が夫婦となって、生まれた子どもたちも小説を書き始めたとしても、同じように私小説と下ネタギャグを書くのではないかと思えた。というネタをXの「架空書籍シリーズ」でポストしたら、大してフォローが多いアカウントでもないのに、数分で三つもいいねがついた。

 一緒に観た息子にはまだ少し早かったらしい。悲しいシーンで大きく心を揺り動かされるのが苦手なようだった。

 念のためChatGPTにも聞いてみた。

和訳して「Back look」

「Back Look」をシンプルに和訳すると「裏を振り返る」や「裏側を見る」といった意味合いになります。もう少し意訳するならば、「裏側を探る」や「真実を覗く」といった表現も近いニュアンスを持っています。

タイトルとしては「振り返り」や「裏視点」「舞台裏」なども意味合いに合わせた和訳案として使えそうです。


 というわけで、「ルックバック」を子どもたちと観たのを契機にして、「バックルック」という題名で、山下/泥辺の創作の舞台裏を書こうと思った。二人は別人で、子ども時代のエピソードを「ルックバック」風にバックルックしようとした。ピックアップしてポップアップしてブロックしようとした。してない。

 自分にも幼い頃から同じ道を歩み続けるような存在がいたら、「ルックバック」に描かれた藤野と京本のような関係の相手がいたら、そう思って書き始めた「バックルック」は結局青春らしいことを書く前にお茶を濁して終わってしまった。だからこうして創作の舞台裏を明かす話に変更したのだ。

 本当のことを書くと私は一人だ。

(了

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 本当のことを書こう。
 私の山下チンイツ、という名前は、実は私一人のペンネームではない。だいぶ前から妻と、そして今では大きくなった子どもたちとの、共有ペンネームである。

 作風についていえば、私小説風の話と下ネタギャグを書くのが私で、私小説風の話と下ネタギャグを担当するのが妻。そして娘は私小説風の話と下ネタギャグを担当し、息子は私小説風の話と下ネタギャグを担当している。

 要するにみんな書くことに大差はないのである。
 これまで自分の書いてきたものを振り返ってみる。
 それらは私が書いたものであるはずだが、私でない人が書いたものでもよかったのではないか。私にしか書けないものなどではなかったのではないか。他の誰かが私のペルソナを被って書いたものでもよかったのではないか。私小説風に書いたところで、自分の中から外に出された言葉は、自然とフィクションの雰囲気を帯びる。百パーセント事実などではありえない。私が「私」と書くところの「私」は本当の「私」に似ているところはあるものの、本当の「私」そのものではない。

 だから別の「私」が入り込む余地があり、他の誰かが演じることもできる。
 これを書いている私は子どもたちと一緒に「ルックバック」を観た私でもあり、ずっと自分の部屋に籠ってキーボードを叩いていた頃の私であり、幼少の頃繰り返し同じ漫画を読み続けていた私でもある。それらの少しずつずれた「私」は同一個体と呼ぶには細胞が入れ替わり過ぎている。一秒ずつずれた私が重なって今の私ができあがっているのではなく、積み重ねられた無数の「私の屍」の上に私は立っている。それらの屍はそれぞれがそれぞれの歩むべきだった未来を

 一時停止
 早送り


「ルックバック」を途中まで観た朝、集団登校の集合場所に子どもたちと一緒に向かう。集合時間にはまだ早すぎるが、観たアニメの感想などの雑談タイムが始まる。急に冷え込んだ朝だったので、息子に頼まれて手袋を取りに家に帰った。子どもたちの元へ、私は大きく手を振り上げて走る格好をして戻った。実際には走ってはいない。

「何その動き」と娘に聞かれた。
「ルックバック走り」藤野が初めて京本の家から帰るシーンの再現のつもりだった。
「ああ」
 娘に可哀そうな人を見る目で「ああ」と呆れられる。
 本当の私は、そういう人間だ。

(了)

     


     

 あとがき

 というわけで劇場版「ルックバック」を子どもたちと観た翌日にこれを書いています。「腎臓ボール」に続いて「バックルック」とは、ここは「青春小説集」ではなくて「パロディ小説集」なのではないかと思ってしまいます。しかし誰もが誰かのパロディとして青春を過ごしているともいえるのでしょうか。何を言ってるか分かりませんので多分違います。

 ともに青春を創作にかける仲間、という相手とは出会っていませんが、ここでこうして私の作品に触れてくださる方々は、みんな仲間ともいえます。共に歩んでいるともいえます。「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ! 花の天カス学園」の中で、それぞれの青春を定義する場面があります。それぞれのキャラクターが思い思いの青春を一言で表していきます。私はその場面を観ながらこう思ったのです。
「刹那・F・セイエイならきっと『青春とは、ガンダム』と答えていただろうなあ」と。

※刹那・F・セイエイ:「機動戦士ガンダム00」に登場するガンダムマニア。最後の戦闘に出撃する際に、パイロットたちがそれぞれ大事な人の名前を口にした。刹那だけは「ガンダム」と言った。

       

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